第1回 古井由吉『杳子』
2020年10月11日(日)14:00~16:00
古井由吉「杳子」を課題本に第1回を無事に終えました!
ご参加いただいた方、ご興味もっていただいた方、ありがとうございました。
代々木公園でピクニック気分で行う予定でしたが、前日までの台風で芝生がぬかるんでそうなので、池袋の貸会議室に変更しました。
読書会では、登場人物の変化・役割や、正常と異常のあいまいさなど、さまざまな角度から語り合えたと思っています。
メモをとりそこなってしまったところが多々あるのですが、ざっくりとコメントや論点をまとめてみました。
※ネタばれ注意
●冒頭が印象的だったという声が多かったです。
・表現に圧巻された。
・杳子が谷底に座るシーンは、中心から沈みこんで世界が歪む感じがよく表現されている。重力がぐーんとするイメージ。
・最初はこの文体についていくのに必死だった。
・ファンタジーを読む感覚で読んだ。
●杳子の目から見た世界や、杳子の声・表情・身体・雰囲気の変化について色々な意見が出ました。
・脳のバルブの開き方が芸術家タイプ。
・普段生活していて疑問にも思わない「普通」がひっぺがえされて、揺さぶってくる凄みがある。
・病気は人と人の間で、顕在化する。
・杳子から見た世界は歪んだものに見えるが、遠近感も教育されて身につく。
・杳子が固執する繰り返しは、無意識に行うものや、生活に根差したもの。
・食べることを拒むのはなぜか。食べることは原始的な咀嚼行為で、その繰り返しを拒絶していると思う。
・また、何かを口にすることは死ぬ危険がある。惰性で食べることへの疑いからか。一方、食べることは世界への信頼を意味するので、杳子は自分と世界を信じられていないのでは。
●男と杳子の関係性について。
・吊橋は、心の世界(山)と外の世界(街)を橋渡しする役割なのでは。
・岩を積み重ねる時とコーヒーカップを重ねる時で、杳子自身と男との関係が変化していることが示されている。
・2人で電車に乗った時、進行方向に向かってどちらが座っているかも計算して描かれていると感じた。
・見る見られるという視線の暴力性と、男と杳子の関係性について。
・杳子が谷間にいるのは自殺しようとしたから?単純に高所恐怖症を克服したかったから?
・男は自身の自殺願望を杳子に投影していたのでは。
・男も精神の危うさを抱えている。
・最初の方では男は杳子をリードしたり、病気を治したがっている。でも後半から杳子の変化に男が置いていかれて焦っているようにみえる。
・杳子にとって男は輪郭を与えてくれる存在だった。ぶよぶよした意味を、言葉や概念で括って整理してくれる。
・男の杳子への態度や接し方が杳子にとってちょうどよかったのでは。
●姉との比較で、杳子への理解が深まった気がします。
・似た者でありながら、そうはなりたくない杳子の反発。
・最初は杳子の方が異常に思えたが、実際に姉が登場してくると杳子がまともに見える。
・小説では登場しない姉の夫は、姉を主婦という記号として扱っていそう。この夫がいるから杳子も家に居づらいのでは。
・姉がケーキとコーヒーを矩形に並べる執拗さにゾッとした。それに気づく杳子も繰り返しに固執している。
●ラストやその後について、明るさや希望を感じたという人もいれば、健康になることがいいことなのか疑問が残る人もいました。
・初読時の記憶では杳子は自殺したと思っていたが、今読み返してみると希望を感じた。
・男は杳子を持て余して離れてしまいそうだが、古井由吉は自分の中の杳子を抱えながら粘り強く付き合うはず。
・男と杳子は独自の関係を築いていくのでは。一般常識におさまった姉夫婦とは違うかたちで。
・杳子はどんな思いで最後の言葉を発したのだろう。景色の見え方を最初の方では「きれい」、ラストでは「美しい」と表現。その違いとは。
●古井由吉の表現や態度について。
・作家が緻密に計算して書いていることがわかり、うなりながら読んだ。
・繰り返しや癖の表現を効果的に反復させている。
・著者は「健康と病」「少女と女」など、対極のものを良し悪しで捉えていない。
・杳子の捉えどころのなさを誠実に描いている。
・小説にしかできない表現をしている。皮ふに訴えてくる。映像化不可能な作品。
・人間を物質的・記号的に扱っていないのが、肌がふれあう描写から感じられた。
・人間や社会を批判しない態度に好感を持った。混沌をそのまま受け入れて、おもしろがっているように思う。
最後に感想をうかがうと、
「みっちり『杳子』について語り合えた」
「言葉にできない感覚を、きれいにまとめずに話し合えた」
「他の人の意見が聞けて、自分では気づけなかった視点を発見できた」
「久しぶりの読書会で、改めて読書会って楽しいと思った」
「最近本を読めていなかったが、会をきっかけに読書への意欲が湧いた」
といった嬉しい声をいただきました。
沈黙や言葉を選ぶ時の間合いを含めて、真剣に「杳子」と向き合った2時間で、わからなさをわからないまま語り合えた回でした。
そして小説と読書会っていいなぁと改めて噛みしめました。
みなさんのおかげで、本当におもしろかったです!
改めて、ありがとうございました。
次回はオンラインかな…でもやっぱりリアルがいい気もするし~など、課題本を含め迷い中です。
どちらにせよ開催は少し先になりそうですが、HPとニュースレターにてお知らせしますね。
追記
関連図書・映画の紹介を忘れてました!
オルダス・ハクスリー『知覚の扉』
阿部公房『飢餓同盟』
古川 不可知『「シェルパ」と道の人類学』
サルトル『嘔吐』
映画『カスパー・ハウザーの謎』
あと古井由吉『詩への小路』の中で引用されていた、「杳子」を連想させる詩を紹介します。
由吉が訳した詩です。
題は「鏡像」。鏡に映る自身の顔を眺めた詩で、杳子と男と姉の関係を思い出しました。
水晶の内からあなたはわたしを見る
その眼は霧にこめられ
薄れゆく帚星のようその面差しの内には妖しや
魂が二人互いに密偵のように徘徊する
そしてわたしはつぶやく
幻影よ あなたはわたしに似ていない
夢の隠家からただ迷い出た幻
この温い血を鉄と凝らせようとて
この黒い巻毛を褪せさせようとて
それでもなお ほのかに光る
奇妙にもふた色の光の差す顔よ
もしもあなたが近寄るなら わたしの心は知れない
あなたを愛おしむのか それとも憎しむのか
アンネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ「鏡像」
0コメント